PROFILE
INTERVIEW
対談
2025.09.30対談

共栄木材が手嶋 保氏に設計を依頼した「三秋ホール」「三秋アトリエ」を起点として手嶋氏の建築思想を聞き、共栄木材が提唱する「共年美化」との接点を探ります。
2人の出会いから、2つの建築空間が生まれた
まず、手嶋さんと共栄木材との出会いを振り返っていただけますか。
手嶋
もう20年近くなりますが、当時社長でいらっしゃった西下健治(現会長)さんが、うちの事務所においでになられて。そのころ、僕はレッドシダーの2×4材を独自に加工してフローリングとして使っていたんです。それをご覧になって「面白いですね」と。そこから「木ってこういうものですよね」などと話が広がって、すごく盛り上がりました。
日本の材料はどうしても、加工性や経済性を重視するので薄いんです。そこで僕は、厚さ38mmの2×4材を35mm程度に加工していた。それぐらい厚いと、足ざわりも全然違うんですよ。「こういう良さは、お寺を思い出しますよね」とか、そんな話を2人で長々として。
この方はモノを売りに来られたわけではなく、正直で感性のある方だなと感じました。お互いに共鳴するところがあって、そこから年に数回、お会いするような間柄になっていきました。
そんなお付き合いから、まず「三秋ホール」が生まれたわけですね。
手嶋
ある日、会長と話しているとき、「会社に小屋を作りたいのです。社員たちが、そこでお弁当を食べられるような場所を」とおっしゃったんです。「おお、いいですね、それ、ぜひ私にやらせてください」と咄嗟に申し上げました。
「手嶋に設計を頼むんだったら、お弁当を食べるだけじゃなくて、もう少し建築的に……たとえば、そこで商品の展示や案内なんかもできる多目的な場所になれば」と思われたんじゃないでしょうか。それで今の「ホール」という名前の空間になりました。
西下
場所は最初から、いま建っているあたりにと考えていたようです。手嶋さんに2年がかりで設計していただいて、完成が2016年。早いもので、もうすぐ10年を迎えますね。

その次に「三秋アトリエ」を設計された経緯というのは。
手嶋
ホールが完成し、しばらくして、会長がもうすぐ文平さんに会社を譲るというお話をされました。驚いて「早くないですか?」と言ったのですが、会長は「僕ももうすぐ60だし、自分も父親からそれぐらいの歳で会社を任されたから」と。
アトリエのことは、その話の続きに出たんです。敷地内に自分の居場所が欲しい、息子の差配の邪魔にならないように別のところに居たいと。それは経営者として、次の世代を尊重した姿勢だなと感銘を受けたことを思い出します。それで事務所やホールからは少し距離を置いた、この隣り合う小高い山の中腹でつくることになりました。竣工は2022年でしたね。

それぞれの設計デザインで意図したこと
三秋ホールは天井が特徴的だと思いますが、建築としてのこだわりについてお聞かせください。
手嶋
こだわりというのは、有るようで無いんですよ。ひとつ言うなら、ホールに使っている材料はどれも使い慣れたものです。国産材や輸入材を偏重しないで適材適所で使いました。床の掻き落とした特殊なモルタルを混ぜた左官床ですが、近くの山を削ると似たような土の色が現れるのですが、その色がヒントになっています。ですから「その状況に即した材料を使う」ということでしょうか。
あと、ホールは構造が特徴的です。「ハイブリッドトラス」と呼んでいますが、張弦梁に近い弓矢のような形状になっているんです。普通は水平に引っ張りますが、そうすると部屋が低く狭く感じられるのでアーチ状にしました。ちょっとパラドックス的な構造なんですよね。水平に引っ張るべきところを持ち上げ、スチールアングルを用いたボールト天井となります。この構造は今や木構造設計では第一人者である山田憲明さんとの協働になります。
なるほど。三秋アトリエのほうは、また違った形、空気感ですよね。こちらの設計はどのように発想されたのですか。
手嶋
アトリエは、土地の形が難しかったんですよね。平らな場所が非常に限られていた。敷地の地形に沿って建てるというのは、昔から色々な建築家がやってきたことですけど、もう一歩進んで「建物が土地に食い込んだような形にしたらどうか」と考えました。
図面を描いていく中で、室内側から見たとき、壁が垂直よりも少し外側に倒れているようにしてみたんです。すると上に向かって広がっているので、小さなスペースでも狭さを全く感じない空間になりました。外から見ると、少し土に食い込んでいるように見える。あたかも元からそこにあったかのようで、でも実は全くそうではないという……そんな無為と人為の調和を、形として表現できないかなと。少し固い言い方になってしまいますが…。
木という素材の使い方、見せ方についてはいかがでしょうか。
手嶋
木材を扱っておられる会社であるからこそ、木に媚びるような建物にはしたくないと考えました。もちろん木は見えるのですが、あまりにも木に囲まれた空間にしてしまうと、かえって木の良さがわからないのではないかと。
特にアトリエについては極力、「木」という素材を引き立てて見せることを意識してつくりました。一方、ホールのほうも樹種を絞り、天井の仕上材は当時からよく使っていたロシア産の唐松材だけにしています。
西下
僕は最初のころ、この業界に入りたてだったものですから、素人的に「多くの樹種を見せれば見せるほどPRになるのでは」と思っていたんです。ところが手嶋さんがおっしゃるように、木を使う場所を絞るとか、樹種を絞る、それによって逆に木が引き立つ。そういう発想自体が自分にとっては新鮮で、こんなふうに考えてデザインしていくんだ!と本当に勉強になりました。
手嶋
もともと、木材の使い方について日本人は非常にセンシティブだと思うんですよ。日本の座敷には、節のある材料は極力使いません。そして、だいたい柾目。壁が木で、天井も木、床も木、という使い方はまずしませんよね。木を使うボリュームを慎重に考えてきた文化がある。そういう意味で、僕が建築を考えるときはいつも、日本建築が原点になっています。
西下
なるほど。逆説的ですが、ホールもアトリエも木材の良さが引き立つ建築だと思います。それはセンシティブにボリュームを絞ることによって可能になるんですね。私たちも手嶋さんの建築を通して、会社のあり方や説明的になり過ぎない慎ましさとか、色々学んでいます。
ともに時を重ね、美しくなる「共年美化」
お話を聞いていると、手嶋さんの建築思想と、共栄木材の理念「共年美化」は相通ずるところがあると感じました。
西下
そうですね、「共年美化」。この言葉にたどり着いたきっかけは、自分が社長を引き継ぐ時に、父からあることを言われたからなんです。「今後20年、30年と木材を生業としていくためには、自分の考えを一度
きちんと文章にしておいたほうがいいよ」と。
父も私も本を読むことが好きで、文章を読んだり書いたりするのも大好きで、それまでにも一年間の経営計画なんかを文章にしていたんですね。父に自分の考えをまとめろと言われてから、自分がどのように木材と向き合っていきたいのかをずっと考えていました。そして社長交代から3年を経た最近になって、ふと、この言葉が浮かんできたんです。
「共年美化」の「共」は、「共栄木材」の「共」と掛けているんですけど。建築や木材は、それ自体が自然と呼べる素晴らしいもので、時間とともに変化していく。説明できないようなことも起こっていく。その過程に色々な物語があって、それを含めて愛着が湧くものじゃないかなと。経年で変化した材を、汚いとか、壊さなければと言うのではなく、思い入れを持って、これも美しいと捉える価値観を発信してみたい。そう考えながら、「共年美化」の文章を書きました。
手嶋さんは、「共年美化」について何か思われることはありますか。
手嶋
やっぱり、「新品が一番いい」という考え方はしんどいと思うんですよ。自分で建物を作っていても、できあがった時の写真と、数年後に訪れた時の写真を比べると明らかに違いを感じます。前者は、そこに建物が舞い降りたような感じ。後者は、徐々にその場所に馴染んだことが表れて周辺環境と共鳴している。まさに「共年美化」だなと思って、僕もこの言葉にはすごくハッとしました。
時間をまとって、変化を受け入れ、その場所のものになっていくというのは、神様にしかできないこと、自然にしかできないこと。それって当たり前のことだけど尊いと思うんです。木や石には、美しく変化していくDNAというか、天性の力が備わっているように感じますね。
西下
先ほどの話に補足させていただくと、僕が「時間を重ねることで愛着が湧く」と思えるのは、自分が創業者ではなく四代目で、引き継いでいる立場だからかもしれません。父、祖父、曽祖父の思いを繋いできた素材が木材であり、その木材は山に植えて30年、50年経ってから伐期を迎えて使われていく。それと同じで、会社も一代一代、年輪を刻むように成長していくんですよね。自分は共栄木材の四代目の年輪なのだと思えば、この会社そのものも長い年月をかけて時代時代で変化しながら、地域の雇用や産業も守りつつ、次代へと繋げていくことが大事なのだと思います。
共栄木材は創業が1948年なので、2048年には100周年を迎えます。もし自分の子どもが僕の思いを知ったとき、何か共鳴するものを感じてくれたら、100年をさらに超えていけるような会社になれるはずなので、時間を重ねて物語を紡いでいくことをしっかりやっていきたいと思います。

パートナーシップはこれからも続く
手嶋さんが手がけられたということで、建物を見学に来られる方も多いそうですね。
西下
建築・木材に興味がある方はいつでも見学に来ていただきたいと思っていますし、実際に毎週のように色々な方がお越しくださいます。日本全国、中には海外からのお客様も。
ただ、先ほどのお話にもあったように、使用している樹種はかなり絞っていますので、数多くの樹種が並んでいる説明的なものを見るというよりは、手嶋さんの建築に浸るようなつもりで。空間に身を置きながら、ぼーっと「木材って何なのだろうな」とか、「時間をかけてこんなふうに変わっていくんだな」などと、ゆっくり考えたり感じたりしてもらえたらうれしいですね。
手嶋
ホールやアトリエについて「ここに水まわりを足せば家になりますね」という会話をしたことがあります。確かに「家」というと、誰もが各々の固定観念を持っていますが、僕は家という形式より、人の居場所としての必要なものはなんだろうか?人生に大切なものはなんだろうか?と基本的なことが大切であると常々思っています。ここが訪れる人にとって、その何がしかのヒントになればいいなと思います。
2つの建築を通して深まった、建築家×共栄木材のパートナーシップについて何か思うところは。
西下
手嶋さんと父が知り合ったことで当社の木材を色々と納品させていただいたことはもちろん、ホールやアトリエができたことで建築家の皆さんに共栄木材を知ってもらえたのはありがたいことです。共栄木材の商品が雑誌やWebで取り上げられると、社員のモチベーションがグッと上がります。 例えば焼杉をつくる現場は、炭で真っ黒の汗だくになりながら作業しているのですが、建築家さんのプロジェクトを通して自分たちの仕事に誇りが持てるので本当に感謝しています。
手嶋
昔はよく、現場に来た帰りに空港まで車で送ってくださって、その間に会社のあり方で思うところなど、いろんなお話を聞かせてくださいました。その内容や、これまでの文平さんのお話から思うのですが、共栄木材さんは自分たちが実感したことしか信じていない。今の流行りだとか、他人のアイディアに安易に乗らないところがすごくいいなと思っています。また優れた内外の建築など実地に見ていて、材料の使い方の提案ができるところもいい。地に足が着いているというか、そこが自分にとっても勉強になる、お手本になると前々から思っています。
ありがとうございます。最後に、あらためて未来へ向けたコメントをいただいて締めくくりたいと思います。
西下
共栄木材が創業100周年を迎えるとき、自分は64歳です。ちょうどまた社長交代の時期だと思うので、そこに向かってバトンをつなげていかねばなりません。地域から愛され、県外・海外の建築家や工務店の皆さんからも頼りにしていただくことの積み重ねで、それが可能になるのかなと。
そのためには、ものづくりの力はもちろん、流通の仕組みなども含めた業界全体への理解力、こちらからの様々な提案力、そういった様々な力が必要になってきますので、一生懸命に勉強してさらに精進していきたいと思います。
手嶋
私からは、若手建築家へのメッセージのような話になってしまいますが。
先ほど、共栄木材さんは流行に振り回されないと言いましたけど、僕は世の中の人にも同じように、もっと自己覚醒してほしいんですよね(笑)。自分でものを考える、自分らしい暮らしができる、それが一番幸せじゃないですか。
私としては刺激や変化も大切かもしれないけど、「気にならないもの」を作りたいと思っています。惑わされないというか。だから、ぼーっと眺められる場所があるとか、そこがいちいち変にデザインされているのではなくて、さりげなくて、ちょっと気をつけて見てみると心地よい形や気遣いがある。そういう建築を目指したいですね。
