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共栄木材の歩み

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年3月11日更新

昭和23(1948)年1月1日に下灘村の小さな製材工場として創業しました。

昭和48(1973)年に焼杉を作る機械を考案し、日本で初めて工場生産を開始しました。その焼杉は地元愛媛をはじめ、京都や岡山・倉敷、そして全国で今も使い続けていただいています。その後、ディメンションランバー、窓、ドア、フローリング、外壁材、デッキ材といった住宅資材の輸入、2X4コンポーネント工場、薪ストーブ、デッキ等のエクステリア商品と、木材にまつわることだけを、提案し、作って、少しずつ変化しながら、今日に至っています。

私たちがいつも思っているのは、<木の生活を考える会社>でありつつ、<ここにしかないもの、あります>ということです。<木>って、付き合うほどに良いものです。その良さを、どうやって皆さんに提案していくかを真面目に考えています。誰かの真似するのではなく、提案と、もの造りとを一生懸命に。

以前、社内アンケートで、「共栄木材の強みはなんですか?」と質問しました。すると、ほとんどの社員が「私たちは真面目が強みです」と答えました。だから、私たちは真面目が強みと自覚する集団なのです。 
ちなみに社訓は<明・元・素>です。明るく、元気に、素直に!! 

右後方に立っている創業者・西下治作氏今ではめったに見られないスクーター昭和40年頃最新の三輪車
共栄木材は昭和23年、下灘共栄製材所として創業しました。右後方に立っているのが創業者・西下治作です。いまではめったにみられないスクーターです。ほとんど舗装されていない道ばかりの時代、山買いに活躍しました。このスクーターの値段、現在に換算するとベンツが1台買えるくらいの値段かもしれません。当時の山立しはまだ馬が使われていた時代です。この三輪車は昭和40年頃最新のものでした。常に新しいものを導入する姿勢が感じられます。
新工場落成「焼杉」工場トータルな建築資材業者
昭和51年、全面道路が広くなったこともあり、新工場を落成しました。現会長西下芳雄社長のもと、幅広い加工技術に着手し、業容拡大をはかっていきました。昭和51年、和風建築の外壁材として用いられる「焼杉」の工場生産を日本で初めて行いました。この技術はこの工場で開発されました。現在「焼杉」の分野でKYOEIは大きなシェアを占めています。製材業からトータルな建築資材業者へ。西下健治社長のもとKYOEIは今、第二創業期を迎えようとしています。
住宅の洋風化-THE ONRY OUR STORY-三秋プレイス
従来の「木材加工部門」に並ぶ柱として「営業部門」を設置しました。自社の加工資材はもちろん、住宅の洋風化に向けた輸入建築資材の販売にも力を注いでいます。平成2(1990)年から、アメリカの住宅資材輸入を開始しました。これを契機に、様々な住宅資材、デザイン、木材の輸入を開始しました。輸入住宅ブームが起こる少し前です。平成21(2009)年、2X4コンポーネント工場を三秋プレイスに移設し、平成24年1月より、事務所機能を本社から、三秋事務所に移動し、総務部、営業部も全員、三秋プレイスに移動しました。本社は加工部工場として、旧コンポーネント工場は下灘倉庫として、稼働しています。